日本人になったアンちゃんが驚いた、高校生の発表と「考える力」とは。

日進市で、主に日進西中学校の生徒を中心に、生徒みずから主体性を持って学び、自分のペースで勉強できる、ICTを活用した自立学習による学びの場を提供している、セルモ日進西小学校前教室 塾長の西尾です。
Clubhouseで出会ったアンちゃんとの高校生との対談が実現しました!

「日本人になったアンちゃんと話し合う多文化共生のありかた」
昨日は教室で、
「日本人になったアンちゃんと話し合う多文化共生のありかた」
というテーマで、小さな対話の会を開きました。
ゲストは、北九州市立大学准教授であり、言語学者でもある アン・クレシーニさん、通称アンちゃん。
そして今回は、高校生が事前に調べ、考え、まとめた「人口減少社会に求められる多文化共生とは何か」というプレゼンを、アンちゃん本人に聞いてもらい対話で考えを深める、という時間になりました。
今回、発表した高校生たが選んだテーマは、正直かなり難しいものです。
日本の人口減少社会を憂い、外国人労働者の必要性を肌で感じ、一方で移住してくる外国人の文化的権利を守るために多文化共生の必要性をじっくり考え、間文化主義という概念にたどり着きました。
大人でも、ここまで深く考えている人はいないんじゃないかな。
でも、発表を聞いたアンちゃんは、終わったあとに本当に驚いた様子で、こんなことを言ってくれました。
「なんでこの塾の子たちは、こんなに深く考えられるの?」
これは、かなり嬉しい一言でした。
私はそこで、
「方眼ノートメソッドのおかげですね」
とお伝えしました。
普段からこの教室では、ただ知識を覚えるだけではなく、
事実を見て、
それをどう解釈するか考え、
最後に自分なりの行動や答えにつなげる、
という「方眼ノートメソッドによる考える力」大事にしています。
今回の発表も、まさにその積み重ねが出ていたように思います。
高校生たちが選んだのは、「間文化主義」という難しいテーマ

今回の発表で高校生たちが出発点にしたのは、日本の現実です。
少子高齢化が進み、労働力不足が深刻になる日本社会。
外国人労働者の力を借りなければ、これからの社会が立ち行かなくなるのは、もう避けられません。
でも、そのときに外国人を単なる「労働力」としてだけ見るのでいいのか。
宗教や文化、言語や生活背景を持った一人の生活者として、どう一緒に生きていくのか。
そこを考えなければ、本当の意味での共生にはならないのではないか。
そんな問題提起から始まり、多文化主義の限界、そして間文化主義の可能性へと議論を進めていきました。
発表を聞きながら、私はあらためて
「きっかけと探求の場があり、「考える力」のある高校生なら、ここまで考えられるんだな」
と感じました。
知識を調べてまとめるだけではなく、社会の矛盾に対して、自分たちなりの問いを立てようとしていたからです。
アンちゃんの話を聞いて、「なるほど」と思ったこと
高校生たちの発表を受けて、アンちゃんが話してくれた中で、とても印象的だったのが、
「日本人が嫌がっているのは、外国人の存在より、外国人から“迷惑をかけられること”ではないか」
という視点でした。
日本では、小さい頃から
「人に迷惑をかけてはいけない」
と教えられます。
アンちゃんは、この感覚が、日本社会で多文化共生を考えるときの一つの大きなポイントなのではないか、と話してくれました。
つまり、日本人が違和感を覚えるのは、宗教や文化の違いそのものではなく、
「周りへの配慮なく、自分たちのルールだけを押し通されること」
なのではないか、ということです。
この話を聞いて、私は
「ああ、これは“間文化主義”の話とつながるな」
と思いました。
私なりに整理すると、
多文化共生というのは、ただ相手に合わせることでもなければ、ただ日本流を押しつけることでもない。
プライベートな部分ではそれぞれの文化や信仰を大切にしながら、パブリックな空間では共通のルールやマナーをどう共有するかを考えること
なのだと思います。
このあたりは、まさに高校生たちが選んだ「間文化主義」と、アンちゃんの実感とが、きれいに重なった場面でした。
娘さんの話から見えてきた、日本社会の難しさ
この日、特に心に残ったのは、アンちゃんの娘さんの話でした。
アンちゃんのお子さんたちは日本で生まれ育ち、アイデンティティとしては日本人です。
けれども、見た目はどうしても「外国人」に見られる。
その結果、本人は目立ちたくないのに目立ってしまい、日本社会の中で生きづらさを抱え、不登校を経験した時期があったそうです。
そしてアメリカに行ってからは、生き生きと過ごせるようになった。
この話は、かなり考えさせられました。
日本の学校は、国際理解教育を掲げることはあっても、
「違いがある人を自然に受け入れる空気」
を本当に作れているのか。
見た目や言葉や背景が違う人を、すぐに「特別な存在」として見てしまっていないか。
アンちゃんの娘さんが本当に欲しかったのは、特別扱いではなく、
「日本人と同じように扱ってほしい」
ということだったそうです。
この言葉は、参加していた高校生たちにもかなり響いたと思います。
「見られる側」になる経験で、初めてわかることもある
もう一つ、この日とても印象的だったのは、ヨーロッパ旅行に行かれた塾生のご家族の話です。
現地でアジア人差別を受けて、
初めて
「自分が見られる側になる」
感覚を強く意識した、という話をしてくださいました。
海外に出てみて初めて、外見だけで判断されること、言葉がうまく通じないこと、無視されることのしんどさがわかった。
そういうお話でした。
これに対してアンちゃんも、自分が差別を受けた経験を振り返りながら、
そういう経験をすると、同じことを他の人にはしたくないと思える、と話してくれました。
私はここにも、多文化共生の大事な本質があるように思います。
多文化共生とは、知識として「外国文化を知る」ことだけではない。
自分がもし逆の立場だったらどう感じるか。
自分もまた、場所が変われば少数派になりうる。
その想像力を持てるかどうかが、とても大きいのだと思います。
最後に

今回、高校生たちが選んだ「間文化主義」という難しいテーマに対して、アンちゃんが
「これだと思った」
と強く反応してくれたことは、本当に嬉しい出来事でした。
そしてそれ以上に嬉しかったのは、発表を聞いたあとに
「なんでこの塾の子たちは、こんなに考えられるの?」
と驚いてもらえたことです。
知識を覚えることも大事です。
でも、それ以上に、事実を見て、自分の頭で考え、言葉にする力は、これからの時代にますます大事になるはずです。
今回の発表は、まさにその「考える力」が形になった時間でした。
アンちゃん、参加してくださった皆さま、そして立派な発表をしてくれた高校生のみなさん、
本当にありがとうございました。
追伸

実は翌日、アンちゃんと一緒に熱田神宮へお参りに行ってきました。
そこでまた、前日の対話会とは少し違う形で、アンちゃんの「日本との向き合い方」を感じることができました。
まず驚いたのは、お参りがとても丁寧なことです。
思わず
「日本人より丁寧にお参りしてるかもしれない」
と思ったほどでした。
歩きながら、アンちゃんがこんなことも話してくれました。
昔はキリスト教の考えが強くて、
「偶像崇拝をしている日本人を救ってあげなきゃ」
という気持ちが、正直あったそうです。
でも今は、もちろんキリスト教を大切にしながらも、
神社では
「日本の神様にもご挨拶してくる感じ」
で参拝している、と。
この話が、私はとても印象に残りました。
自分の信じるものを大切にしながら、相手の文化も尊重する。
それはまさに、今回みんなで考えた多文化共生や間文化主義にも通じる姿だな、と感じたからです。
翌日の熱田神宮での時間も含めて、今回の対話会はとても深い学びになりました。